ピアノ協奏曲は冒頭からハイテンションのライヴ録音ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、ピアノ・ソナタ第2番、コレッリ変奏曲リトヴィンツェヴァ、マルディロシアン指揮北西ドイツ・フィル2011年からドイツを拠点に活動するピアニスト、リトヴィンツェヴァによるラフマニノフ・アルバム。ロシア帝国時代のピアノ協奏曲第1番(1891年)とピアノ・ソナタ第2番(1913年)、およびスイスで書いたコレッリ変奏曲(1931年)を収録。協奏曲とソナタは、ラフマニノフがのちに手を加えて更新した現行版楽譜を使用。 協奏曲の共演はマルディロシアン指揮北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団で、ピアノもオケも個々の素材を明確に示しながら作品構造を浮き彫りにしており、緩んで平板になったり甘ったるくなったりすることがないのがさすがです。 ピアノ・ソナタ第2番とコレッリ変奏曲はスタジオ録音で、旋律や動機の形が崩れること無く完璧に示された見事な仕上がりです。 なお、名前はロシア語読みではイェカチェリーナ・リトヴィンツェワですが、ドイツ在住が長く、ふだんのコミュニケーションもドイツ語と英語が主体ということなので、エカテリーナ・リトヴィンツェヴァとしておきます。 ブックレット(英語・12ページ)には、アルフレード・イノチェンティによる解説などが掲載。▶ Piano Classics 検索 演奏家情報エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ1986年、カムチャツカに近い港湾都市マガダンに誕生。1990年、4歳の時にピアノの勉強を開始。1994年、マガダン(北緯59度33分)の北東約1500kmでほぼ北極圏に位置し、オーロラがさらに美しいいチュクチ自治管区の都市アナディリ(北緯64度44分)に転居し、同地の音楽学校で勉強。ロシア最北東端都市の厳しくも豊かな自然の中で過ごしたのち、2001年、15歳のときに一家はモスクワに転居。2002年、モスクワ国立ショパン音楽学校に入学し、イリーナ・ガブリエロヴァに師事。卒業後、2006年にマイモニデス・クラシック・ピアノ・アカデミーに入学し、ヴィクトール・デレヴィアンコ、アレクサンダー・ムンドヤンツ、エカテリーナ・デルジャヴィーナらに師事、卒業後、2011年にドイツに移住し、ケルン音楽舞踊大学で学び、2013年に修士号を取得して卒業後、ヴュルツブルク音楽大学でも学んでいます。 以後、ベルリンのコンツェルトハウス、シュトゥットガルトのリーダーハレ、ボンのベートーヴェンハレ、ニュルンベルクにあるマイスタージンガーハレ、ハノーファーのNDRフンクハウス、ハンブルクのムジークハレといったドイツの有名な会場などで演奏。北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団1946年、先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」が結成。ドイツ北西部を統治していたイギリス占領軍政府のプロイセン解体により誕生した「ニーダーザクセン州」の支援も受け、温泉保養地バート・ピルモントで、同地で指揮者をしていたヴァルター・シュテーヴァーらの主導により設立。メンバーは、「ライヒス=ブルックナー管弦楽団」元楽員と、「プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団」元楽員、及び占領地域のフリーランス音楽家(ライヒス=ブルックナー管弦楽団はリンツ・ブルックナー管弦楽団とは無関係)。 1946年、「ヘルフォルト交響楽団」が結成。指揮者のハインツ・シュリューターにより集められた36名から成る楽団。本拠地は、イギリス占領軍政府による合併で誕生したドイツ最大人口州「ノルトライン=ヴェストファーレン州」のヘルフォルト。 1949年、前年に占領軍政府(米英仏)により実施された通貨改革により、西ドイツが深刻な経済難となり、ニーダーザクセン州から先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」への資金援助が打ち切りとなり存続の危機に。 1950年、先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」と「ヘルフォルト交響楽団」が合併し、「都市同盟交響楽団」が誕生。名前の由来は、オーケストラを運営するために、ヘルフォルト、デトモルト、パーダーボルン、レムゴー、バート・ザルツフレン、バート・リップシュプリンゲ、バート・エーンハウゼンの各都市などによる後援協会が設立されたことによるものです。本拠地はヘルフォルト。Powered by HMV