バッハのヴィルトゥオーゾたちバッハ、シュピース、リニケ、シュトリッカー:作品集ミドリ・ザイラー、ケーテン・バッハコレクティヴバッハゆかりの地、ケーテンで創設された古楽器アンサンブル「バッハコレクティヴ」によるケーテン時代のバッハとその関係者による作品で構成されたアルバム。 ヴァイオリン独奏はバッハコレクティヴの芸術監督でもあるミドリ・ザイラーと、ドイツで活躍する平崎真弓。 バッハのケーテン宮廷時代は6年ほどと短いながらも、優れた楽団「コレギウム・ムジクム」の存在と演奏機会の多さから創作活動も旺盛で非常に多くの傑作が生みだされています。 このアルバムでは、当時のケーテンと関係の深かったヨーゼフ・シュピース、ゲオルク・リニケ、アウグスティン・ラインハルト・シュトリッカーの作品も含めることで、ケーテンの宮廷音楽の実像に迫ろうとしています。▶ Berlin Classics 検索 作品についてケーテンに優れた宮廷楽団が誕生したのには理由があります。背景1713年にプロイセン国王に即位したフリードリヒ・ヴィルヘルム1世[1688-1740]は、父王フリードリヒ1世[1657-1713]の浪費癖で傾いた国家財政を再建するという名目で急遽改革に乗り出し、文化予算などを大胆にカット。その一環として宮廷楽団も即時解散させていました(もっともフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は軍事には熱狂して大金を投じていましたが)。ケーテンに宮廷楽団が創設ケーテンの宮廷にはもともと楽団はありませんでした。そのため、熱烈な音楽愛好家だった若きレオポルト侯[1694-1728]は、長期間イタリアに出かけてオペラやコンサートを鑑賞したりしていたので、プロイセンの宮廷楽団が解散するという話にはすぐに反応し、1713年にはケーテンに宮廷楽団を創設する流れとなっています。アウグスティン・ラインハルト・シュトリッカー[1680-1718?]シュトリッカーは元プロイセンの宮廷音楽家で、作曲にも指揮にも演奏にも携わっていました。ケーテンの宮廷では1714年に楽長となり、1717年にザクセン・コーブルク宮廷に移るため辞任しています。バッハの前任者。ヨーゼフ・シュピースケーテン宮廷の首席宮廷音楽家。つまり宮廷楽団のコンサートマスターということで、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ&ソナタ集もシュピースのために書かれたのではないかという説もあります。バッハとの交流はバッハがケーテンを去った後も続き、1728年にはシュピースの息子の名付け親にもなっています。ゲオルク・リニケ[1680-1762]長くプロイセンで活動していた作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者ですが、宮廷楽団の解散により、ワイマール宮廷に移り、その後、ザクセン=メルゼブルク公の楽団でコンサートマスターを務めていますが、同時期の1718年から1721年にかけてケーテンの宮廷楽団にコンサートマスターとして所属している記録があるということです。これはリニケの兄のクリスティアン・ベルンハルト・リニケ[1673-1751]が、ケーテンの宮廷楽団のチェロ奏者を務めていたことから、兼務が要請されていたと考えられてもいます。 演奏者についてミドリ・ザイラー(ヴァイオリン)1969年誕生。父はドイツ人ピアニスト、母は日本人ピアニスト。ザルツブルクで育ち、ヴァイオリンをヘルムート・ツェートマイヤーやシャーンドル・ヴェーグに師事。バーゼル音楽院ではアデリーナ・オプリーンに、バーゼル・スコラ・カントルムではトーマス・ヘンゲルブロックに師事。 1991年から2014年までベルリン古楽アカデミーに参加し、2000年以降はコンサートマスターとして活躍。 2001年から2014年まで、アニマ・エテルナのコンサートマスターも兼務。 2010年から2013年までフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学でバロック・ヴァイオリンとヴィオラの教授を務め、2014年以降ザルツブルク・モーツァルテウム大学でバロック・ヴァイオリンの教授。2017年には再びフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学の教授に就任。 Powered by HMV